梅雨の晴れ間のお散歩日和。早起きして散歩する、愛犬思いの、たまです。
うん。そんな顔されたら、明日も早起きするかって思うよ、永太。
さて話はかわって。散歩をしていると気になるのが、路上に落ちているマスク「野良マスク」。マスクが日常必需品になって以来、ちょくちょく見かけます。それどころか、マスクが貴重品だった3月や4月のころでさえ、あったきがする。あれって、いったいどのように人の口元から離れるのだろう?
マスクを落としてしまうって、よくわかんないんですよね。風に飛ばされたとか外れちゃったってこと、私は一度もないし。基本着けているから落とさない。外して、ポッケに入れておいて落とす、っていうのはひょっとしたらあるかもな。でも、あちこちで風に吹かれ転がるマスクたち、ちょっと多すぎやしませんかい?
と考えれば、自然と行き着く一つの仮説。ひょっとして、わざと捨てられた?
てへぺろ兄弟たち、元保護犬です。そして、ほんのちょっぴりではありますが野良犬でした。ふたりとも、たった一匹で、名古屋の街をさまよっていた。もっともふたりとも、野良猫さんたちほどの生命力はないので、本当に一瞬だけだとおもうけれど。
そんな野良永太、似たような毛色と大きさのこ4匹が、似たような場所で保護されているから間違いなく「捨てられ」てる。
野良奏太朗も、保護されて保健所で飼い主さんを待っていたけれど、迎えにきてはもらえなかった。ってことは飼い主さん、探してもいないわけで。ようはやっぱり「捨てられた」んだと思う。
私は身近な人で犬を「捨てた」というひとに会ったことがない。(玄関前に捨てられていた猫を飼っている人は知っているけど)。でも確実に、捨てる人は(残念だけれどけっこう)いる。私の周りに、マスクをゴミ箱以外に捨てた人はいないけれど、世の中にはたくさんいるのかなあ。
うん。まあね。
でも、向かいのホームとか交差点とか明け方の街で、打ちひしがれた野良マスクを見るたびに、私はそんな気持ちになってしまうのだよ。うん。
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