時々押し寄せる「勉強しなくては」という気持ちに、このごろまたしてもさいなまれている、たまです。
コロナで自宅にいる時間が長くて、ふと「このままでいいのだろうか」と不安になる。そしてそんなときなぜか「英語でも、勉強、してみる?」と思ってしまう。
ところがである。私と英語というのは大変相性の悪い組み合わせなのである。高校時代先生に「君は国語とおなじくらい英語ができたらどんな大学でも選べるのに、英語ができないから大学側に選別されてしまうのだよ」という名言をいただきました。はい。(あと「おかしいな。国語ができれば英語もできるはずなのに。君、本当にちゃんと勉強してる?」とかも言われていた)。
大人になってから、なぜあんなにも英語がダメだったのかについて考えてみました。まず、アルファベットの羅列が覚えられなかった。表音文字が苦手なんですね。
あと、英単語の「語彙」について無駄に考え過ぎてしまう。例えばplay。遊ぶ・スポーツをする・演奏するくらいなら覚えられるのだけれど、うしろにつく単語によっては〜にふるまうとか〜のふりをするとか、もうどうしてそうなるのかよくわからない。一つの単語を辞書で調べては、うむむむむーと唸るばかりでちっとも英文読解が進んでいかないのです。
あとそっくりな単語も多いし。prayは祈る・願う。preyは捕食する・餌食にする・心を悩ます。これらがなんでこんなに似ているのかさっぱりわからん。わからーん。
ああ。今考えるだけでも頭から煙が出そうだ。でもでも、現代人の基礎として、英語は勉強しなくっちゃ!と思う。がんばらなくっちゃ!と思う。
「やらねば」という気持ちに焦らされ、蒸気機関車のようになりながら堂々巡りをしていた私に、夫さんがひとこと。
「英語勉強して、どうしたいの?」
そう言われて、わたくし、なんにも言い返すことができませんでしたよ。だって、今の生活で英語が必要なことなんて皆無なんだから!
ああ。おっしゃるとおり。
勉強は、なにも英語だけじゃないぞ。仕事や生活に役立つことを学ぶのだって、立派な勉強なのだ。奏太朗を見習って、もう少し肩の力を抜いて勉強しよう。
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