てへぺろ系男子sとたまの日々

ゆる系男子達(犬)とたまのなんてことないライフログ

てへぺろ兄弟でもわかるカラヴァッジョ

 ここのところ、ものすごーく読んでいただけていないブログ主、たまです。

 忙しさにかまけて、特に意味のないブログばかりを書きなぐっていたのですから無理もありません。やはり、手を抜くとバレますね。

 そもそもブログなんて時代遅れなわけですし。せめて役に立つこと、得する情報、面白い内容がないと読んではもらえない。せめて、「へー、知らなかった」と思う程度のことは書いていなくては。

 心にもない感嘆を、簡単にするな。

 

 ということで、私にできること。

 私は何か興味が沸いたことを調べたり、それをなんとなくわかった気になるように説明するのが比較的好きです。なので、それをちょっとブログでやってみようかな、と。

 第一回はカラヴァッジョについて。

 先日見てきたカラヴァッジョ展で、気になったことなどをちょっとまとめてみようかと。

 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ。生粋のイタリア人。ミラノに生まれ、ペストから逃れるためにカラヴァッジョ村に避難するも父死亡。ミラノに戻りが画家修行を積み、そこで喧嘩沙汰を起こしてローマへ逃げ出す。

 当時のローマは、ローマカトリック教会プロテスタントに対抗すべく改革を行なっていて、カトリックの教義を補強するようなキリスト教美術品を求め、教会の改修なども行われていました。仕事あるところに芸術家は集まる。名声をあげようと殴り込みをかける画家のなかの一人に若きカラヴァッジョもいたのです。

 当時のローマの美術の主流派は、盛期ルネサンス(ミケランジェロたちの時代)後のマニエリスムの時代。ミケランジェロらの手法にこだわり、誇張された肉付けや派手な色使いの絵で、当時の人々にも時代遅れと思われていました。

 カラヴァッジョは精密な写実表現と寓意を、強烈な明暗法で浮かび上がらせ絵画で、人々に驚きをもって迎えられました。やがて人気画家になったカラヴァッジョには教会装飾や有力者からの絵の注文が次々舞い込みます。

 しかし、カラヴァッジョ本人は放埓な言動を繰り返し、とうとう殺人を犯してしまう。それまでの喧嘩っ早く不品行な行いの数々にパトロンたちもあきれ見放し、カラヴァッジョは指名手配(見つけ次第殺してOK)となり、ナポリに逃げ出します。

 ナポリでも画家として成功を収めるもマルタ島へ移動。絵画を評価され、憧れのマルタ騎士団の一員となるも、仲間内で喧嘩をして逮捕、騎士団から除名。脱獄して逃避行開始。ただ、その絵を欲しがる人は多く、お金に不自由することはなかったとか。

 ただ、敵対者に狙われる日々で、眠るときも完全武装をしていたともいわれています。ローマ教皇に赦しを得てローマに戻る望みを叶えるため、何枚かの絵を描き、船で北上するも途中で逮捕され、船にも先立たれ、失意のうちに熱病で死んだと考えられています。

 カラヴァッジョの描く絵は、舞台演劇のスポットライトを当てたような劇的な表現。そのワンシーンがとても計算し尽くされて巧妙で効果的。

 絵はそんな冷静と情熱を持ち合わせているのに、本人はといえば何度も喧嘩をしてはその地にいられなくなるというなんともお粗末な人生。それでも、その逃避行の先々で絵を描き、様々な人にその手法を認められ、バロック芸術のきっかけとなりました。とはいえ、その名声は、死後あっという間に廃れてしまう。ま、日頃の行いが悪すぎて画家仲間には嫌われていたし、弟子はいなかったし、本人が絵の技法について特に書き残したり伝えようとしていないから、真似をする人は現れても引き継ぐ人はいなかったから仕方ないのかな。でも、この後の画家フェルメールレンブラントにも影響を及ぼしているんじゃないかなと思わずにはいられない作品群。本当に、才能たっぷりなのにどうして喧嘩に明け暮れちゃうのさ。勿体無さすぎるぜ、カラヴァッジョ!

 という、波乱万丈なカラヴァッジョさん。名古屋では12/15まで。その後は大阪でも公開されます。特に「ゴリアテの首を持つダビデ」は名古屋だけでの公開なので、ぜひ名古屋市美術館で、本物と向き合ってみてください。

www.art-museum.city.nagoya.jp

 

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